好き嫌いがはっきり分かれているところが似ている。
何となく肩身が狭いところも似ている。
何となく不健全である雰囲気も似ている。
唯一の違いといえば、
喫煙は縮小傾向にあり、
同性愛は拡大傾向にある ところだろうか。。。
僕にとって、セクシャルマイノリティの問題は軽い。
納豆が好きな人もいれば、
タバコが好きな人もいる。
同性が好きな人もいるし、
性別なんて関係なく好きな人もいる。
世界人口が70億人もいるこの多様化した地球では、
それは多分ごく自然なことだし、そんな人達が居てもいいんじゃないかと思う。
そんな軽い気持ちだから、世の中の↓こういった↓動きには疑問を感じる。
ゲイリーマンのカミングアウト的思考
自民党からまた衝撃回答「性的少数者について人権問題として取り組まなくてよい」
change.org
クラスに必ず1人いる子のこと、知ってますか?~セクシュアル・マイノリティの子どもたちを傷つける教科書の訂正を求めます~
世の中にはもちろん、
納豆が嫌いな人もいれば、
タバコが嫌いな人もいる。
同性愛者が反吐が出るほど嫌いな人も居る。
現在のセクシャルマイノリティが、セクシャルマジョリティになることは絶対に無い。
(人間は異性が好きになるようにできているし、そんなことしてたら人間の種が途絶えてしまうから)
そんな人達に対して、こちらからグイグイ主張していたら、不快以外の何者でもない。
相手を認め、尊重することはとても大切だと思う。
だけど、無理やり認めさせるのはよくない。
と、
書いてみたものの、
自分が今生きているこの時代の環境。
- カミングアウトしても処刑されない
- セクシャルマイノリティをある程度理解してくれる世の中
は、 ここ数十年間に先駆者達が残してくれたものだし、
生半可ではない困難があったことは、僕も少しは知っている。
だからこれからも主張してゆかなければならないし、
この貴重な時代に感謝しなければならない。
喫煙者のための分煙室は、喫煙者には最適な喫煙場所を与え、
非喫煙者は受動喫煙の心配がない最適な空間を与える。
そんな具合に、セクシャルマイノリティにもいい解決方法はないのだろうか。。。